校訓 「高く 正しく 強く」

第4号 平成26年7月1日発行   校長 関田重雄

―「少しの辛抱 少しのがまん」―
 何でも自分の思い通りに行い、すなわち人と違う事とをし、それを個性ということにより自我を通していく。 しかしそれは、きわめて危うい行為でもある。  何でも自分の思い通りにやれれば、確かに私たちは楽しい気分になれるかもしれない。しかし、こうした形で の<自分>を続けるならば、それは次第に周りと上手くいかず、孤立してしまうのではないだろうか。 辛抱(しんぼう)するとか、我慢(がまん)するという事の大切さを、かつては、様々な場面で聞くことが多か った。しかし最近は「個性の尊重」ということが前面に出る中で、良い意味で使うことが憚(はばか)られてい るのが現状ではないだろうか。確かにただ辛抱をし我慢をするだけでは何も変わらないのではという人もいるが、 かつては社会の人々とともに作っている共通の了解事項があった。例えば、 1 我慢は自分をきたえると共に、まわりに良い影響を及ぼす。   2 ちょっと我慢し辛抱することで、他の人もつらく苦しいことがあることが分かる。 3 お父さんやお母さんも我慢して子供のために頑張って仕事をしている等々 を踏まえるならば、辛抱し我慢することにより、目に見える形で<自分>が変わっていけると、考えられるので はないだろうか。  人は、生れる時代を選べない。お米(白米)を一粒も口にすることなく、多くの人が死んでいった時代に生れ た人たちもいる。今は世の中が便利になった。テレビ(カラーテレビが普及しはじめてから50年しか経ってい ない。)、電話(携帯電話など30年前には遙か未来のものだった。)電気(夜がこんなに明るいなんて100年 前の人には考えられなかったはずだ。)食べ物は私たちの身近に常にある。(世界の中で今も飢えで死んでいっ ている子供がたくさんいる国もある。)高校にほとんどの子が入れるなんて何十年か前には考えられなかった。 今を生きている私たちは豊かで、幸せな時代・国に住んでいるのは、これらの事からも明らかである。  豊かで自由になると、我慢とか、辛抱するとかの気持ちが薄れがちである。そうすると、自分勝手に楽しけれ ばいいという空気が学校にも出てくる。  私は、時代が変わっても変わってはいけないことがあると思う。それが「少しの辛抱 少しのがまん」だと私 は思う。中央中は、とてもいい学校だと思うが、さらによくなるためには「少しの辛抱 少しのがまん」が大切 かと考えている。

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