「幸福」とは何だろうか。人は何をもって幸福と感じるのだろうか。
内閣府は数年前に、国民の「幸福度」を測る指標の試案を発表した。
試案によれば、年齢と幸福度の関係については、諸外国の調査研究では
U字カーブをたどるとされている。しかし、日本では高齢期に入っても
他国(たとえばアメリカ)に比べると幸福度が上昇していかないという
結果がでている。
ある調査によれば、ブータン国では、国民の9割以上が「幸せ」と答
えている。自然や伝統・文化、家族を大切にする国民性が背景となって
いると考えられているが、あまりの高さには驚かされる。
江戸時代初期の大芸術家、本阿弥光悦の母親は、唐縞の反物、浴衣
(ゆかた)、手ぬぐい等、八点だけを残し、九十歳で逝ったと言われて
いる。ある会社の統計によれば、人間の持ち物を食器等の実用品から趣
味的な物まで全て一点として数えていくと、欧米諸国では、三千点前後
なのに日本人はその倍以上八千点を超えるという結果が出されている。
考え方の一つとして、お金にしても、車にしても、何でもたくさん持っ
ていることが幸福のバロメーターだという人もいるが…。
日々を暮らしていくという事は、何かを手に入れ、自分のものになっ
た何かを手放していく連続のはずが、いつしか手放せなくなってしまっ
ている。それは、一度手に入れたものは決して手放さないという生き方
から出てきていると思う。物に限らず、役職・名誉・権力等々も持ち物
に入れて考えると、何と捨て去るものの多いことか。上手く捨てられな
い日本人の姿が浮かび上がってくる気がする。何かを手に入れることよ
り、手に入れたものを手放すことの方がはるかに難しいのだろう。
「喜捨」という言葉がある。辞書を引くと「寺社や貧しい人にお金や
物をあげること」とあるが、かつての意味は「人の幸福を自分のことと
して喜び、人々を分け隔てなく平等にみる心」であると教えられたこと
がある。日常の大部分を占める学校の中で、生徒たちにはこの「喜捨」
の心を大切にさせたい。お金で買える幸福もあると考える人もいるかも
しれないが、やはり学校は「きれいごと」と言われても、自分の欲を捨
てても、他人の幸せを求める人間を育てることが使命であると思う。
この事がまさしく教育基本法にある「人格の完成」であると考えるが…
如何でしょうか。
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