3月は年度のまとめの月である。この時期になると常に心に思い浮か
ぶ言葉がある。「老子」第64章にある「愼終如始、則無敗事」(終わ
りを慎むこと始めの如くなれば、即ち敗事なし)という言葉である。物
事の仕上げの段階になっても、慎み深い気持ちを忘れてはならない。そ
うすれば、実力以上の力が発揮できるものだ。(=負けることはない)
これは、最後の詰めの部分こそ、始まりの時のように慎ましくしていれ
ば失敗することはない、という意味だ。ただ、この言葉は、「老子」
第64章のごく一部分であり、全体としては、老子は次のようなことを言
っている。
「何事も、小さいうちは潰れやすい。しかし、大きいことは小さいこと
の積み重ねでできている。だから、終わりに近づいた時も、最初(潰れ
やすかったとき)と同じように慎重に。そうすれば失敗することはない。
逆に言えば、最後の最後で失敗してしまうのは欲が出るからであり、最
初は謙虚だったのに、いつからか慢心してしまうからだ。だから、天下
を取っても欲を持たないことだ。庶民を指導してやろうなどと思わず、
民衆の自律心にまかせておきなさい。そして自分も質素な暮らしに戻り
なさい。すなわち、まだ天下を取っていなかった頃(いわゆる「駆け出
しだった頃」)の初々しい気持ち、「初陣」の頃の気持ちを忘れてはい
けない。天下を取ったからといって、いい気になって欲を出てはいけな
い。あとは、民衆のあるがままにまかせた「無為自然」な政治をしてい
きなさい。それを助けるのが、為政者の役割だ。」
初心を忘れず。慢心を戒め行動することの大切さ。人を信じる謙虚な
心の大切さを説いていると感じる。終わりに見え隠れする人間の品格も
問われていると思う。
春は花 夏ほととぎす 秋は月
冬雪さえて すずしかりけり
さて、この一首は、川端康成氏がノーベル文学賞受賞時の講演「美し
い日本の私」で引用した、道元禅師の短歌である。結句の「すずし」は
精神が快く清らかなさまである。四季の景物の花、ほととぎす、月、雪
を列挙して推移する自然のさまを観想すれば、清く澄み切った、境地が
得られる。という意味である。美しい日本の四季を歌い上げている。
八百年以上前の歌だが、心にしみいる趣がある。
日本人は、豊かな自然の中で暮らし、祖先を敬い、自然に感謝し、主
に農業を中心として暮らす中で日本文化を育んできた。山にも木にも、
魂を感じ畏敬の念をもって接してきた。私たち日本人は毎日食事のはじ
めに「いただきます。」と挨拶をかわすのは、食べ物の中に宿る自然の
精霊そのものを頂戴するという意味が込められているからだ。
「終わりを慎む(物事の仕上げの段階になっても、慎み深い気持ちを
もつこと)」心とは、自然に感謝し、今を生きている自分に感謝し、す
べての人・物を愛する心を持ち続けることだと思っている。その心を教
えることが遥かなものであったとしても、努めていくことが、教育者の
務めであると信じている。
【バックナンバー】
[4月号] [5月号] [6月号] [7月号] [9月号] [10月号]
[11月号] [12月号] [1月号] [2月号] [3月号]
<平成26年度>
[4月号] [5月号] [6月号] [7月号] [1学期終業式号]
[9月号] [10月号] [11月号] [12月号] [1月] [2月] |